眠れない。
銀時は布団の中で寝返りを打った。夜、布団に入って寝付けないのは久しぶりだった。
塾と一続きになったこの家に、住人は自分と家主である先生の二人きりだった。「お休み」と言ってからもうずいぶんと経つので、きっともう先生は自分の部屋で眠っているに違いない。
 外は真っ暗で、物音もせずしんと静かだった。塾は周りの民家からは少し離れているし、こんな時間はきっと野良犬でさえ寝静まっているだろう。
 少し前までは銀時もその野良犬と同じように崩れかけのほったて小屋で、死人からはぎ取った食べ物や服と気まぐれな人の施しで生き延びていた。その頃とは大違いだ。
突然自分の前に現れて、ついて来いと言った先生に連れられてここで暮らすようになって数ヶ月。最初は得体の知れない自分なんかを迎え入れられたことが信じられず、警戒して目の下にクマを作っては翌朝起こしに来た先生に苦笑された。 
しかしそれも一週間を過ぎた頃からはどうでもよくなって、人心地ついたとでもいうのか、ぐっすりと眠れるようになった。
先生と一緒に暮らし始めて、こんな人間がいるのかと思ったのもつかの間、自分は同じ年頃の子供ばかりがいる塾に放り込まれて、あっという間に『普通の子供』にされてしまった。
あの人は優しい顔をして強引だということを、銀時はこの家に来てすぐに学んだのだった。
 だから、こうして柔らかい布団にくるまって眠れず起きているのは久しぶりのことだった。静かなせいで色々な事が思い浮かんでは頭の中をぐるぐると回る。色々といっても、実際は今銀時の頭の中にあるのは大きな括りで言えば一つだった。
銀時は頭まですっぽりと布団を被って、その中で溜息をついた。
 目を閉じても、脳裏に浮かぶのは一人の顔だけだった。今日見た、桂小太郎の顔だ。初めて塾で出会った時から、銀時は並んで座った子供たちの中でひときわキラキラとかピカピカとか、そんな印象を桂に対して持っていた。光を反射するような艶々の黒髪と、くるりと大きな瞳のせいかもしれない。
最初見た時に女かと思った顔に似合わず、剣の腕が立って中身の方はハッキリものを言う奴だった。
 その桂は、銀時がここに来てから先生を除くと一番長く見ている顔だった。昼間たいてい一緒にいる分、もしかしたらいつも忙しそうな先生よりも長いかもしれない。
桂は初めて会って以来、なぜか何かと銀時を構いにきて、塾に顔を出すものの居眠りばかりの銀時に授業内容を教えてきたりと色々世話を焼いてくる。たまにうっとおしいとは思うことがあって適当にあしらっても、桂の方は気にした様子もなかった。
それなのに、そんな桂が今日見せたのは、銀時が見たことがない悲しそうな顔だった。
(あんな顔初めて見た……)
 思い出して、銀時はぎゅっと胸が痛くなる。そんな顔をさせたのは銀時のせいだった。
 怒ったかな、傷付けたかも、言いすぎてしまった、とそれからずっと気になっている。それは顔にも出ていたようで、晩御飯を食べている時に「何かありましたか?」と先生に指摘されてしまった。
「なんで?」
「元気がないから。あなたの焼いてくれた鰆も残ってるじゃないですか」
 先生が食べかけて止まっている鰆の皿を指さす。
「べつに何も……」
「あぁ、そういえば小太郎も帰る時元気がなかったですねぇ」
 銀時は桂の名前が出てどきっとする。
「あなた達喧嘩でもしましたか?」
何もないと誤魔化そうとしたところで、あっさりと図星を指されて銀時は口ごもった。
「当たりですね?銀時が喧嘩ねぇ、初めてじゃないですかそんなの」
 先生の言うとおり、銀時は塾に行き始めてからも喧嘩などしたことがなかった。銀時の外見や先生と一緒に住んでいることで陰口をたたく者はいたけれど、無視して聞き流せる程度には自分はガキじゃないと思っていた。
それに、喧嘩なんてしても先生に迷惑がかかるだけだ。桂と喧嘩をしても、桂の性格から考えて親に言いつけたり、それで先生に迷惑がかかったりすることは無いだろうから、それだけはよかったと思う。
「喧嘩するほど仲がいいってやつですねぇ、うらやましい。どうです、私とも喧嘩してみますか?」
「はぁ?なんでわざわざ」
 コエーよ、と銀時が言うと先生が少しだけ寂しげに笑う。
しかし銀時はそれどころではなかった。こっちは喧嘩も仲直りも、したことがないと知っているくせに、先生は笑っていて、いつもの笑顔もこうなっては腹が立った。
 だからって恥ずかしくて仲直りの仕方の相談なんてできやしない。残すなら食べちゃいますよ、と先生がのんきに言うのを断って、銀時は皿の上を全部空にした。
腹は満ちても、心の中のもやもやはそのままで、風呂へ入って、布団をかぶっても治らなかった。
 あんな事言わなきゃよかった、ともう何度も繰り返した後悔で銀時は気が重くなった。